2016年7月5日火曜日

「スラヴ叙事詩」来日に関する余計な心配

「ミュシャ展/2017年3月8日(水)~6月5日(月)・国立新美術館/企画展示室2E」
http://www.nact.jp/exhibition_special/

2年前までこの話は噂の域を出ない都市伝説的なイメージで捉えていたのですが、
実際に正式に告知されるとほっとします。
ついにあの「スラヴ叙事詩」全20作品をこの目に焼き付けることができる!

現地で見た方が、雰囲気でるし、空いてるし、のんびりじっくり見れる、という話も聞きますが、
プラハまで行くお金と時間に余裕がある人がどれだけ羨ましかったことか><


ところで、
スラヴ叙事詩はスラヴ民族の苦悩と繁栄の歴史を垣間見る一大歴史大作であるために
その性格上「順番」は大きな意味を持つと思うのですが

実際20作品には1番(cycle No.1)から20番(cycle No.20)まで番号が振り分けられています。
それが、スラブ叙事詩のライセンスを管理している(らしい?)ミュシャ財団と、
日本の研究者等が出版しているミュシャの専門書とで、一部が食い違っているのです。

制作年代順にはまるで関係なく、この順番という位置付けがされているということは
やはりミュシャが決めた「順番」というものが存在していると思うのですが・・・。



ミュシャ財団と、日本で手に入る専門書で自分が手にしている3冊(3冊の順番は一致)とでは
3枚だけ順番が違っています。17枚は同一です。


スラヴ叙事詩08 グルンヴァルトの戦闘の後

'The Slav Epic' cycle No.10: After the Battle of Grunewald


スラヴ叙事詩09 ベツレヘム教会で説教するヤン・フス

'The Slav Epic' cycle No.8: Master Jan Hus Preaching at the Bethlehem Chapel: Truth Prevails


スラヴ叙事詩10 クジージュキの集会

'The Slav Epic' cycle No.9: The Meeting at Křížky


なので
日本で公開する際に、その絵の順番はどうなるのか?とても興味深い!
それよりなにより、どうしてミュシャ財団だけが違うのか?それも知りたい。

絵に描かれた史実があった年代で見てみると、
グルンヴァルトの戦いは1410年、ヤン・フスは1415年に処刑されていて、クジージュキの集会は1419年に起きているので年代順に追ってくると、日本の専門書の番号の振り分けが正しいと思いますが、
そうなると財団側の順番にはどのような主張があるのでしょうか?
(それとも番号は便宜上のもので特に意味はないのか?)




この記事を書くために改めて番号の検証をしてみてよかった
SLのスヴァン美術館とJOGのスラヴ叙事詩美術館は、ミュシャ財団のサイトの順番を周到しています。
やっぱり日本の専門書の順番に直しておこう^^;;


JOGはテクス修正で場所を入れ替えれば済むけど、



SLの方は難しい><(土地が狭い分ぎゅうぎゅう詰めなもんで)








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